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2007年10月17日

生きた証はここにある

一通のはがきが届きました。
それは愛犬の一周忌を知らせるはがきでした。

そうかあれからもうすぐ一年になるのか。
(ちょっと悲しいお話になりますのでご了承下さい)
11月4日、それはたぶんこれから私が生きていく上で忘れられない日

別れの時なんてもっと先だと思っていた。
今年もまた一緒に年を越せると思っていた。
それはまだ冬の足音が遠い、ある秋の思い出。

私と愛犬のミッチー(名前言っちゃった)との別れは突然でした。
約15歳と高齢ではありましたが、とても元気でそれまで大した病気に
なることもなく過ごしてきました。
それが10月の半ばぐらいから食欲が無くなって来たことを心配し
お医者さんへ連れて行ったところ、腎不全の兆候があるとのこと。
高齢ということもあり老衰によるものであるとのこと。
さすがの私たちもこれにはその時が近いことを予感せざるを得ない現実でした。

そしてその数日後、とうとう食べ物を受け付けなくなりました。
大好きだったちくわやパンも全く食べなくなってしまい、水を飲むのがやっと。
これでは栄養が保てないので、その日からお医者さんで栄養剤の注射を
打ってもらうことにした。

人間や動物全般に言えることだと思いますが
やっぱり食べられなくなったらもう駄目ですね・・・。

栄養剤を打っているものの日に日に衰えていく体力。
段々歩く足取りもおぼつかなくなる。

ある夜、トイレの為にと外へ抱きかかえて連れて行ってあげたものの
その足取りはふらつき真っ直ぐ歩くことすら出来なくなっていた・・・。
今にも倒れそうな姿を目にした次の瞬間

たまらず抱きかかえ、心の中で
「もういいよ・・・お前は頑張ったよ・・・」
とつぶやいている自分がいた。
明らかに以前とは違いやつれてしまった体、その体重の軽さがとても重かった。
ただ、抱きしめてあげることしか出来なかった。

それからはもう一日一日で大きく変わっていった。
昨日は歩くことが出来たものが、次の日には歩けなくなり
その次の日には立つことすら出来なくなっていた。

そして動くことも出来なくなった。

その頃から祖母と今後について話し合っていた。
このまま最後まで全うさせてあげるべきなのか
それとも少しでも早く楽にさせてあげたほうがいいのか。

最初は二人ともその命を最後まで全うさせてあげたい。
最後の最後まで看取ってあげたいと思っていた。
でも水すらも飲めず、後はその終わりを待つだけの体
そして一晩中悲鳴とも言えない声で苦しがる姿を目の当たりにして
私は決断しました。

安楽死という道を

安楽死というものに抵抗を持つ人もいるでしょう。
私もその1人でした。
残された命はあと1日かもしれない2日かもしれない。
そう遠くはないでしょう。
でもその間もあの子は苦しみ続けている。
助かる命ならば喜んで待ちます、でももうただ最後の時を待つだけの状況において
これ以上苦しめる必要がどこにあるのだろうか。
だったら少しでも早く楽にしてあげたい。苦しみから解放してあげたい。
その想いでの決断でした。


そして別れの朝
その日は昼まで仕事に行かなければならなかった私はミッチーと
最後の挨拶を交わした。
もう二度とこの温もりを感じることができない、撫でてあげることもできない。
そう思ったら、とめどなく涙が溢れた。

今まで我慢していたものを吐き出すかのように泣いた。
ただ泣いた。


そして最後の「行って来ます」の言葉を残して、私は家を出ました。
ただいまと言えない「行って来ます」ほど辛いものはなかった。

医者へ連れて行くのは午前中。
私が家に帰る頃にはもうミッチーはこの世にはいない。
仕事を終えた私は急いで家路に着く。
もしかしたらもう一日延ばしているかもしれない。
医者からもう少し待ちましょうと言われたかもしれない。
もう一度、撫でてあげられるかもしれない。

そんなわずかばかりの私の希望を
玄関を開けた瞬間漂ってきた線香の匂いがすべてを掻き消しました。

仏壇の前には小さな箱が置かれていた。
その箱は花で埋め尽くされていた。
顔をぐしゃぐしゃにしながらその箱を手で掻き分けていく。

そこには安らかな寝顔のミッチーがいた。

少し強めの麻酔を打つことで眠るように逝けると言われたとおり
眠るように旅立っていったと母が言った。

もう苦しまなくていいんだね。
やっとゆっくり眠れるんだね。

ありがとう、今までありがとう。

人生の半分を共に過ごしたかけがえのない家族がいなくなった。
私が楽しいときも辛いときもいつも尻尾を振って迎えてくれた、励ましてくれた。
餌をあげ終わると呼んでも知らん顔をするやつはもういない。

一年経った今でも家に帰るとふと寂しい気持ちになるときがある。
祖母は言う、あの子はまだこの家にいるよ。
私たちを守ってくれているよ。と

今、我が家の仏壇の前には昔私がふざけて撮影した
蛙のぬいぐるみを頭に乗せたミッチーの写真が飾られている。

当日は私もお参りに行こうと思う。
そしてみんな元気でいるよと報告をしようと思う。
あの子が大好きだったちくわをかじりながら。



posted by そぶ at 17:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他>雑記
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この記事へのコメント
「生きた証はここにある」を読んで・・・

ミッチーさんは、家族であり、また、こころのささえ、だったのですね。

安楽死の選択。
苦痛からの解放のためだけど。
自分自身で決断したけど。
本当にそれで良かったのか、と。
ゆれる気持ちが伝わってきました。

苦しむ姿を見るのは、耐えられない。
だけど、あと一日、あと一日だけでも、と。
そう願うのは、人として自然な感情だと思います。

自分がミッチーを殺した、とか。
そんなふうに思わないほうが良いと思います。
ミッチーさんのために、そうするのが最善だと。
考えて考えて出した答えが、安楽死だったわけですから。

ミッチーさんの死は、たしかに悲しいです。
でもミッチーさんは、本当に幸せな一生だったと思いますよ。
最期の最期まで、大切に思ってもらえて。

>>祖母は言う、「あの子は、まだ、この家にいるよ」と。

そのとおりだと思いますよ。どこにも行ってないと思いますよ。
いるのですよ。家にも、そして、家族みんなの心の中にも。

みんなが忘れないでいてくれる。
それこそが、ミッチーさんの「生きた証」なのではないでしょうか。

軽々しくコメントすることでは、なかったのかもしれません。
ムカついたら、このコメントは削除してくださいませ。
Posted by 匿名 at 2007年10月17日 21:24
>匿名さま
こんばんは、コメントありがとうございます。
まず最初にこのような記事にコメントを下さりありがとうございます。
正直、こういうことはあまり書かないほうがいいのかなとも思いましたが
自分の中でも何かを整理したいという意味もあって今回書かせていただきました。

匿名様から温かい言葉をいただき、書いてよかったんだなと安堵しています。

ミッチーは私たち家族にとって小さいけれど大きな存在でした。
いなくなってしまったことで失ったことよりも、あの子から貰ったもののほうが
計り知れません。その思い出や気持ちを大事にこれからを過ごしていきたい。
そう思っています。

安楽死の選択はぎりぎりまで悩みました。
人の手で命を絶ってしまうわけですから、少なからず抵抗はありました。
でもあの時はあれが最善の方法だったと信じています。

>みんなが忘れないでいてくれる。それこそが、ミッチーさんの「生きた証」
そうですね、ミッチーは私たちの心の中で今も生きています。
そしてこれからもずっと。
今はあの子と出会わせてくれた奇跡に感謝の気持ちでいっぱいです。

なんだかうまくまとめられないコメントでごめんなさい・・・。
コメントとてもうれしかったです。
本当にありがとうございました。
Posted by そぶ at 2007年10月17日 22:12
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