梅雨の時期になると物の怪たちの活動も盛んになりいたるところにその姿が見える。
さまざまな物の怪の姿が見えるものの、そのことを誰にも言えず、ただ見ていることしか
出来ない事に戸惑いを覚える静流。
見えているのにそれを誰にも伝えられない、ただ黙って見ていることしかできないのって
かなり辛いものがあるよね。
これから災いが降りかかろうとしている人に対して、なんらかのアドバイスができればいいけれど
いきなり初対面の人から
「あなたにこれから不幸が訪れますよ」
って言われてもどこかの宗教かぐらいにしか思われないよね。
見えるからこそ踏み込める部分があるわけだけど、見えていない相手にすれば
それは単なる心の不法侵入でしかないのかもしれないし、嫌がられるよりは
静流のように静観しているのが正解かもしれないね。
ほんとは見えてるんじゃないの?
と聞かれ、うん見えてるんだと言えない静流。
こういうのってやっぱり自分にも見えないとなかなか信じられないことだよなぁ。
いきなり誰かにおれ見えるんだと言われても、私自身それを理解することは
たぶんできないと思う。
自分が見たことを文章として綴る静流でしたけど、想像力豊かだと言われるけれど
ただ本当に見ていることを綴っているだけなわけで、これもちょっと複雑な気分かも。
文章を褒められることよりもすべてを打ち明けられることの方が彼女にとっては
何倍もうれしいことなんだろうなぁ。
見えることの意味っていったい何なんだろう。
見ている側にとってもそう考えさせられるお話でした。
次回予告の川澄さんのボケっぷりが大好きだ。